「選-心-遊-家」


  日常は順列組み合わせの系譜である――と、まずは大上段に構えよう。極彩色に塗された百万のカタログの中からお気に入りの一品を選ぶことだけが、今や私たちに残された唯一の人間的営為であるなどと耳にタコの皮肉も敢えて隠さない。ゆりかごから墓場まで、つまりはベビーショップから石材屋まで、私たちは決断(選択)に次ぐ決断(選択)を生きるのだ。
  憂うつもりなど毛頭ない。かの麗しき田園に自足する農夫、夢見るマリー・アントワネット妃を訝しむ私たちの感性は正しい。反骨の創造家たちはそれでもなお、カタログ・ライフを蔑み日々綿々と創造活動を続けるだろう。だが悲しい哉、ついに彼らの汗は印刷されて、その忌むべきカタログに掲載されてしまうのだ。

  諦念は時代の感性である。悟る我々はヨリ賢明に行こう。作戦はこうだ。世に数多するカタログ群、捨てず破かず買い取って、こっそり穴を開けて返すこと。そ知らぬ顔で詐欺師の手つきで、他の正しいカタログに紛れ込ませるようにして。不運にも偽作を手にした紳士淑女たち、喪失を見つめるその眼は穴の痕跡に何を見るだろうか。あるべき写真の不正確な描写、補われるべき文章の可能な候補、あるいは穴に縁取られた向こうの景色に息をつくだろうか。いずれでも構わぬ。気が付けば、そのどれもがカタログに載っていない。

  能楽師がいる。建築家がいる。映像作家が、音楽家が、また楽曲編纂師がいる。集う空間は1200年を経た古都の寺院、時は現代21世紀。企て目論むは虚無の顕現、異質なものの衝突が生む刹那の真空である。建築家は空間から何かを差し引くだろう。映像作家はその実在を幻影で消し去るに違いない。音楽家は聞こえぬはずのものを耳に届けるだろう。そして我らの能楽師が、虚空に舞ってすべてを宙へ、見る眼の心に夢幻の花を咲かせるのだ。そうして不足なき日常に風穴を開け、覗く景色にささやかな額縁を提供することが、彼ら一流の詐術である。

  「選心遊家」と銘打とう。選ぶは心、即ち無。色即是空、空即是色、穴の穿たれたカタログを貫く視線は遠く彼岸を覗くだろうか。家に遊び心に遊び、そうしていつもより少しだけ風通しの良い日常を持ち帰っていただければ、これ幸い。

文責  松原独歩