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300年もの平穏な日々の後、時代はみたび長福寺を担ぎ出す。討幕の志士が功山寺に挙兵した。相次ぐ戦難に疲弊し、血の粛清で幕府への従順をあらわした長州藩に対し、俗論党打倒を叫ぶ高杉晋作が、同志を率いてクーデターを企てたのである。このときわずか80余名であった小隊は、この挙兵を契機に、やがて農民・商人ら民衆の支持を得て俗論軍を打倒し、ついに討幕の藩論を確定させた。 ――高杉晋作が決起したその日は大雪で夜は晴れて月が出た。石段も山門も仏殿の屋根も、中天にかかる満月の光を浴びて白一色に輝くなかを、晋作は愛馬に鞭をあてて時代の夜明けにむかって駆け抜けていったのだ。 功山寺は桜の名所である。秋の紅葉、また冬景色も美しい。鬱蒼としげる樹木のなかには、樹齢450年と推定される槇の木もある。慈愛にみちた仏の視線の なかを、中世から近世にかける騒乱の日本史が通りすぎた。功山寺は、変転する人間の歴史に劇的な舞台を提供した境内の静まりを今にたもちながら、諸行無常 にあふれる風雪のあとを私たちに語りかける西国の名刹である。(一部功山寺HPより引用) »back... |
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鎌倉から室町へ移る激動の時代の創建である。当時は長福寺と号した。
開山まもなく、一人の落武者がやってくる。のちの大将軍、足利尊氏。中央政権に背いたそしりで都を追われ、九州へ逃げる道に一夜の宿を借りた。 数年後、勢力を盛り返した尊氏は、ふたたび都へ向けて出立する。九州から京都へ向かう道、戦場へ赴く男が決死の覚悟を誓ったのは、ふたたび長福寺であった。 以後、長福寺は室町幕府の庇護を受け、政権と深いかかわりを持ち続ける。 時代は再び動く。長門国守護・厚東氏が滅亡した。代わって台頭した大内氏は長福寺を手厚く保護するが、室町末期、戦乱の世についに命脈を絶つことになる。敗走の大内義長はわずかの兵を連れて長福寺に篭った。しかるに包囲の敵は未曾有の大群、大内氏は抵抗やむなく、恨みをのんで長福寺仏殿に自害する。伏した義長を眼下に見据えたのは、戦国時代の寵児、若き毛利元就であった。こうして時代は長福寺を旋回するように巡ってゆく。 |
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